2007年01月24日
被災地
別に茶化すつもりは毛頭ないのですが、夕張って被災地でしたっけ?と勘違いしてしまうほど、各地から同情の声がニュースで流れます。夕張の方が元気になればと、相撲の巡業も検討しているそうです。プロ野球の2軍戦も夕張で開催。夕張の市職員を、うちで雇いますと兵庫にあるとある市が手をあげる。
いや、いいと思うんです。でも、別に災害にあって、個々人が不幸な暮らしを余儀なくされる、たくさんの人が亡くなり、家を失い、食べるものもなく、寒さに凍える、ってことではなくて、市の財政が破綻したというだけ、ですよね。市の財政が破綻すると、そんなに個々人ががっくしと肩を落とし、被災地のように途方にくれてしまうものなんでしょうか。個々人はそんなにも市町村に依存して生きているものなのだろうか。
いや、私の感覚がおかしいのかもしれない。なーんもわかってないのかな。
でも、市が財政破綻することと、日本相撲協会が自らの負担で、「被災地」ならぬ「財政破綻地」で『夕張の人達を勇気づけたい』と巡業を行うということは、どうしても私の頭の中では繋がらず、違和感があるのです。
札幌が財政破綻した時、私と私の家族は『勇気』を無くすだろうか。そして関取に『勇気』を貰うのか。
comments
大変なのは現実なので語弊があるかも知れませんが、今の夕張市は「マスコミが作り上げた悲劇の街」ではないですか。なので、今、夕張市を支援する活動は、マスコミでも大きく取り上げられ、それ自身が一種の「広告」になるわけです。冷たい言い方かもしれまえせんが、それが今の日本のマスコミ、ジャーナリズムの限界なんでしょう。
もうしばくして、夕張市の悲劇物語がマスコミから消えたとき、そして夕張市のことを誰も気に留めなくなったとき、そのときのことを考えている人はいるのでしょうか?
全くそう思います。伝えられるべきことと、実際に伝えられる事は、往々にして合致しませんね。特に日本の第4権力は、ひどいもんだと常々思います。ほんとに全くどうでもいいことを、一斉に同じベクトルで、キャンペーンします。そして忘れます。
北海道に新幹線なんて必要なわけがない。ほんとを伝えろ。と思うわけです。
husky diary you've include