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LIFE on the dish?

BASIC LIFEとオンザディッシュを統合して、LIFE on the dishとなりました。果たしてファミリーブログという試みは、うまくいくのか、破綻するのか。7月19日に産まれた娘「胡桃(くるみ)」にまつわる話ばかりになるでしょう。ライターは母親「かおり」と父親「あきひと」

2009年よりゴルフを始めました。 目標はデビューイヤーのアベレージ100切り

■ゴルフ戦績
デビュー戦 122(シャトレーゼ栗山)
2戦目 111(クラーク)
3戦目 103(ユニ東武)
4戦目 111(ユニ東武)
5戦目 102(ツキサップ)
6戦目 123(ユニ東武)
7戦目 105(廣済堂トムソン)
8戦目 95 (樽前)
9戦目 92 (トマム)
10戦目 96 (滝の)
11戦目 97 (札幌ベイ)
12戦目 101(ANAダイヤモンド)
13戦目 101(ユニ東武)
14戦目 94 (ユニ東武)
15戦目 100(シャトレーゼ栗山)
16戦目 103(クラーク)
17戦目 95 (スコットヒル)
18戦目 99 (羊が丘)
19戦目 104(島松)
20戦目 99 (ツキサップ)

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2009年06月22日

歩道の暴走自転車

自宅マンション前に幼稚園のバスが停まる。幼稚園のバスを待つ親子は、歩道の通行の妨げにならないように十分配慮すべきだと思う。私が担当の時はそうしているつもりだし、歩道では待たずに、マンション敷地内に引っ込んで待つ。自転車が危ないからというのもある。いくら手を繋いでいても、狭い歩道の中、子供の動きは予測不能で危ない。

自転車はいちおう、車道を走る原則になっているものの、現実的に車道を走るのは無理な場合もあり、歩道を走る自転車は多い。特に、私たちはバスを待っているわけで、そのバスは歩道に沿って停車するから、その時、自転車が車道を走ることが難しいのもわかる。

本来、歩道を走る自転車は、自転車から降りて、自転車を手押ししながら歩くべきなんだろうけど、まぁ、実際そうもいかない。危なくない程度の速度で十分注意しながら走るのなら、歩行者側から見ても許せるか。

しかし、歩道を爆走する激チャリは許せない。
今日はマンションから歩道に出たところで、爆走自転車が私の娘の横ギリギリを過ぎて行った。イヤホンで音楽を聴きながら。少なく見積もっても、30km/hは出ている。もちろんこっちも常々注意を払っているし、手を引いているから、ぶつからずに過ぎたが、万一ぶつかれば、軽い怪我では済むまい。死ぬことだってあるだろう。

「ゴラマテーィ!!止まれぃ!!!」その自転車を呼び止め注意。たまたま運悪く通りかかり、変なおじさんに朝から説教される男子高校生君も可哀相だけども、あれはさすがにいかん。怒らないわけにいかない。
自分が自転車に乗る時は、こう怒られたつもりで、十分注意しようと思うのでありました。

2009年06月19日

youtubeのコメント

前回の記事で、私のヘンテコなゴルフスイングのyoutube動画を載せました。その動画に外国人からコメントが付いておりました(youtubeで)。

I love the light of this range.
(この練習場の照明いいね)

スイング無視かよ!
そのコメンターのスイングを載せましょう。

レフティー。スイング後、次のボールを取る動作のキレがいいです。左膝がいい。

先日、18ホール回ってきました。スコアは122。全く納得いきませんが、スコア通りの実力なんでしょう。何もかもダメですが、アイアンが全くだめ。練習場でのアイアンのスイングが全て無意味だったことに今更気づきました。あれはただヘッドのソールがマットで滑って、なんとなく球が弾かれて飛んでいっただけなのですね。ダウンブローを練習しましょう。

2008年12月25日

町唯一の日本人の彼女

この秋に青年海外協力隊員として、アフリカはベナンへと旅立っていった看護士の彼女。最近もらったメールによると、コメという町(地域名?)にいるらしい。その町に配置されたらしいのですが、なんとその町にいる唯一の日本人が彼女だというのです。ひとりぼっちです。英語もフランス語も話せない、小柄な彼女が、全く言葉の通じない町で、ひとり現地の言葉を少しずつ覚えながら、買い物をし、食事をし、誰かのために仕事をして、生活している。シャワーも水しか出ない。

是非、行ったらいいよと薦めたけれど、彼女のようにできるのかしら、私は。

2008年11月26日

さらに「住まい」について考えてみる

住まいについて考え始めると止まりません。たぶん、半月ほど集中的に考えたあと、情報収集が飽和状態になり、飽きてしまうんだと思いますが。なんにせよいつもそんな感じです。週末に2冊の本を買い、翌日に読み終えました。

娘を連れながら適当に選んだ2冊でしたが、いずれもそれなりに興味深く読みました。結局のところ、マイホームについても触れながらも、不動産を買う以上は、マイホームであろうがなんであろうが、不動産投資であるという考えに則って書かれています。自らが住む可能性が高い不動産取得に対して、夢や希望、土地への愛着みたいなものはなど一切持っていない私にとって、それぞれいたって合理的な論調に、好感が持てました。
結局のところ、日ごろからGeoが言うように、立地の良い場所に中古ビルディングを一棟丸ごと買ってその一番上に住みなさい。という話と同じことでしたけど。

あと、5冊くらい読めば飽きて忘れるでしょう。

2008年11月24日

「住まい」について考え中

「飲んだら書くな、書くなら飲むな」ということで、ひとつ前の偉そうなエントリーは話半分で読んでくださいませ…。

団塊ジュニアの一番若い方であるわれわれの世代ですが、マンションやら家やらを買う人がここのところ急激に増えてきています(私の狭い交友関係の中での感覚ですが)。また最近は、仕事でも不動産や、住宅建設系のクライアントさんと会う機会も多く、そういう話を聞いていると、さて、我が家は「住まい」についてどういうプランでこの先を過ごすのか、考えることが多くなりました。

新築戸建て・新築マンション・中古戸建て・中古マンション・生涯賃貸、
そして、ローンというもの。

いろんなケースを経済合理性に基づき、その損得で判断しようとするわけですが、どうも経済的感覚だけでは計れない(お金で解決しない)部分が「住まい」には多すぎて、何が正しいのかベストなのか、結局わからねー、計算できねー、ということになります。その部分を排除して、損得だけで判断すれば、「生涯賃貸」というのが最も合理的な選択であるようなんですが。

幸か不幸か、会社を立ち上げたばかりですので、当面はまともなローンは組めないでしょう。もう少しいろいろと考えてみたいと思います。

山崎元さんのブログの記事「持ち家か、賃貸か」
http://blog.goo.ne.jp/yamazaki_hajime/e/e39380e9b14d37c5aae53f303fc6afd1

大量のコメントも含め、非常に興味深く読みました。全部読むと何時間もかかると思いますが。

2008年11月13日

定額給付金というプロモーション

あまり時事ネタに絡むのは苦手ですが。定額給付金について思うところを少し。

ただ唐突に2兆円使って票を買うという不思議な政策が、ほんとうにまかり通ってしまう政治ってなんなんでしょう。今回は急を要するだの、迅速に支給せねばならないから、ということですが、公明党が急かすだけでしょう。もらう側にとってみれば、くれるならもらう、ってだけの話でいつでもいいわけで、その給付がないと今すぐ困窮するような人には、また別の福祉があるはずです。

政策自体の滅裂具合はこの際、置いておいたとして、ほんとに票を買いたいなら、もっと安くうまいプロモーションがたくさんあると思うのですが。あまりにコストパフォーマンスが悪すぎる。演出家はいないのかしら。見栄えよく欺くのがいいとは思いませんが、見栄えも整えられず適当で批判を受けまくる政策で、それに2兆円拠出するってのは、割が合わないでしょう。

ここからプロモーションとして挽回するとしたら、こんなのはどうでしょう。
「給付金辞退者はその同額が難病支援の基金に自動的に寄付されます」

難病支援じゃなくてもいいんですけどね。

2008年10月10日

マイナス61%

私の証券口座の持ち株ポートフォリオによると、含み損益の欄がマイナス61.12%となっているのはもう見ないことにしましょう。忘れてしまいましょう。元から無かったことにしましょう。実際に投入しているお金はスズメの涙ほどですから、額としては小さなものですけどね。

友人のカナダ人投資家も全資産の2割が無くなったとか。こちらは率が2割でも実際の額は膨大な数字。持っているショッピングモールから一番大きなテナントが倒産して空になったとか。じゃぁ、この局面で儲けられる側の人は、どういう人なんだろうねと聞くと、キャッシュを持っている人だと。例えば友人は、アリゾナで先月5億だった家が、今それを1億で買えたと。

まぁそうは言っても、1年くらい先にはまた元に戻るんじゃないのと聞いたら、「いや今回は1929年と同じになるチャンスがかなりあるよ、もうゲームは全部チェンジしちゃった。」不思議な日本語で。

2008年09月18日

捨てる能力

何度か書いたことがありますが、うちの嫁さんはモノを捨てるのが大好きです。と単純に書くと怒られますが、「いかに少ないモノでシンプルに気持ちのよい生活ができるか」という点を追求しているようです。なので、うちは他の家に比べ、とてもモノが少ない。何かを買えば、同時に同等の何かを捨てます。それが高い値で買ったものなのか、安物なのかは一切関係なく、さっぱりと捨てられます。例えば、1枚のTシャツを買えば、古いTシャツが1枚捨てられる。いや、2枚も3枚も捨てられることもありますが。靴だって、バッグだって。常に捨てるものを探しているんです。捨てるためなら、お金だってかけます。

時々私はこれら行為に抵抗します。それは捨てないでくださいよと。でも最近はもうだいぶ慣れてきました。モノが少ないのは気持ちがよい、という考えも、少し理解できるようになりました。久々に実家に泊まったりすると、尋常じゃないモノの多さに、息苦しくなります。ずっと住んでいた家なのに、全く落ち着かない。あぁ、私も、いつの間に。

この性質は、嫁さんが母から受け継いだもののようで、その実家には、うちにもましてモノがありません。そして、なんとすでに、私の娘もモノを捨てることに快感を覚えている様子。
とにかく、郵便物のたぐいのものは、すぐゴミ箱に捨てられます。運転免許の更新のお知らせはがきも捨てられました(回収しましたが)。折り紙を半分にちぎった時点でそれも捨てられます。そして捨てながら、目を凛々と輝かせるのです。とにかく、ゴミ、もしくはゴミっぽいものはすべて彼女によって捨てられ、私の食後の食器から、絵本から、おもちゃから、ありとあらゆるものを、すべて片付ける能力から発達しつつあります。

まだ会話になるほど話すこともできないし、かんしゃく持ちだし。そんな2歳1ヶ月ですが、すでに親から「捨てる能力」「整理整頓能力」を受け継いでいるのには、少々怖さすら感じるのであります。

デジタル一眼・最近のα

悠々自適カナダ人のカメラ選びのため、久々にいろんな一眼デジカメを店頭で触ってみました。悠々自適で、且つ優柔不断なカナダ人は、いつになっても買いません。私がお奨めしたのは、旧ミノルタ、現sonyのαですが、NIKONを買うそうです。NIKONももちろんいいけども、α奨めてるのに!

よく、カメラ選びの質問を受けますが、ここ数年はいつもαと答えてきました。私が欲しいからです。ただ、私はデジタルはNIKONでシステムを組んでしまっており、そうそう、一から買いなおすわけにも行かず。フィルムカメラは、オリンパスに、canon、CONTAX、あとはPENTAXの645ということで、もうバラバラ過ぎます。

αをお奨めするのには、ボディ内手振れ補正などを筆頭にいくつかの理由がありますが、そもそものところでは、フィルムカメラのα-7のスタイルが良く、それをそのまま踏襲したミノルタのα-7デジタルは、「カメラとしてカッコ良い」デジカメだったから、という理由です。作りがしっかりとしていて、メカニカルな感じがしていたんです。

α-7デジタル後、ミノルタ(このときは既にコニカミノルタですが)はカメラ事業からの撤退を発表し、sonyが引き継ぐことになりました。sonyブランドとして最初に発売したα100は、ほぼ、ミノルタ時代のα-7デジタルをそのまま踏襲するもので、カッコよさも80%くらいは維持され、まぁまぁ、いいなぁと。

その後、αシリーズは入門機で数機種、ハイアマチュア向けや、フルサイズ機(35mm時代のフィルムとほぼ同じ大きさの撮動素子を持つ機種のこと)などラインナップが増えましたが、特段手にもって見る機会も無いままで、今回久々にじっくり実機を見てきたわけです。

で、その感想ですが…(いろんな人にお奨めしまくった手前言いにくいですが)、最初のα-7デジタル、α100とデザインが全然違う!うまく表現できないけれども、なんかつるんとしている!かっこよくない!
ま、それでもカメラ自体の基本性能はしっかりしており、推薦に十分値するわけですが、メカとして持つ喜びのようなものが、無くなってしまったような最近のαシリーズでございました。軍艦のように上部に2つあったダイヤルが特に気に入っていたのですが、それが1つしかないし…。普通の人はそんなこと気にしないのでしょうが。

2007年10月21日

写真とインターネット

前にもここで紹介した記憶がある、こちらの写真サイト(ブログ)が閉鎖となりました。その後、閲覧者を限定する形で再開されているようです。
このサイトは、フランス在住の写真家さんが、主に、娘さんや家族の写真を中心に更新されていたサイトでして、かなり有名なサイトでありました。
私も昔、このサイトをはじめて見た時には、その写真に美しさと、娘ちゃんの可愛らしさに、腰が抜けるほどの衝撃を受けました(その後はあまり見てなかったのですが)。あの有名サイトが閉鎖に追い込まれた理由に、少し考えさせられてしまいました。

間違いがあるといけないので、まずは閉鎖にいたる理由が書かれているエントリへリンク。その理由を要約すると以下の通り。

中国人が上記サイトに公開されていた娘さんの写真を無断で使用し、「自分の娘の成長記録」と偽ったサイトを立ち上げる。それを台湾のメディアが、「現在の中国で、育児がこのように変わってきた」と報道。

私も写真を撮りますし、それをウェブに載せたりもします。もちろん自分の撮影した写真ですから、へんてこりんな写真であっても、その著作権は私にあるわけです。まぁしかし、私自らがウェブに載せるのですから、仮に何かの素材に使われるようなことがあっても(侵害されても)、そもそもまず気づかないし、大きな害がなければいいかなくらいに、軽く思っています。
しかし、今回のは…うーむ。。娘の写真をブログに載せるのも、ちょっと考えたくなりますね。(考えるのおせーよ!と3名くらいから声が聞こえてきそうですが)

今のご時勢、ブログの記事や画像は、私の意志に関係なく、10年、30年、50年、間違いなく残り続けます。私がブログを1年で閉鎖しようが、仮に死んでしまったとしても、ウェブをクローリングしてアーカイブし続けるのロボットによって、記録されています。

事実私が10年も前に釣ったイワナの写真、私の手元にはもう存在しませんし、その写真を載せたウェブページもとっくに存在しないのですが、アーカイブサイトで調べると、すぐに見つかります。その写真と共に、私の文章も全部出てきます。恥ずかしすぎるのでリンクはできませんが。

例えば私の娘の20年後。彼女は容易に自分の生まれた日に父親が書いた文章を見つけられるでしょうし、どんな部屋に住んでいて、いつ引っ越して、いつ寿司屋にいって、いつ風邪をひき、いつ父親が出張に行き、そしてお土産に何を買ってきたか、そんなことも全部わかってしまうんです。

話が脱線してしまいましたので、ここまでー。写真載せてしまえー。

1021kurumi.jpg

2007年09月24日

いかに少ないモノで生活できるか

前回のエントリで、「モノを捨てる嫁さん」を紹介いたしましたが、ご不満のようなので、訂正いたします。「いかに少ないモノで生活できるか、ということに、日々挑戦している。」とのことでございます。以上でーす。

2007年07月09日

オーバースペック

旅行から帰ってきた母親に、撮ってきた写真をデジカメから取り込んでくれと頼まれました。取り込めない人もデジカメを持つ時代なんだなぁとか思いながらも、用件を引き受け、カメラ一式を預かってきました。

私も写真は日々撮っておりますが、600万画素くらいのNIKON一眼レフでございます。取り立てて不満もなく、もう何万枚と撮影していますが、不調にもなりません。よって新しいカメラの購入検討もないため、最近のコンパクトデジカメというものが、どんなものなのか知らなかったのです。

母親が旅行前に数万で買ったというデジカメは、ちっこくてホールドもままならいのに、12.1メガピクセルって書いてあるんですわ。1200万画素?なんのために?画素数をどんどん際限なく上げていかないと、売れないのかしら、カメラって。1200万の画素をスナップカメラマンが必要とするシチュエーションを思いつきません。ポスター並みに引き伸ばすことを前提にした商業デジタル撮影ならば、それくらいあったら、まぁいいかと思いますが、コンパクトカメラで撮るわけもないし…。ものすごいオーバースペックだなと。

母が撮影してきた画像を見ると、全部、フルサイズである、1200万画素で撮影されておりました。まぁ、取り込み方もわからないんですから、画素が何かもわかりませんしね、しょうがないです。しかし、このサイズで撮影を続ければ、こんなコンパクトカメラのメモリなんて、すぐ一杯になってしまって、旅行途中に何度も削除を繰り返さなくてはならなかったろーなー、と思ってですね、メモリカードのフタを明けて、何メガのカードかしらと見てみたところ、4ギガバイト…。恐れ入りました。そーゆー時代なのか…。

撮影した画像は当然、CD-ROMなんていう、旧世代メディアには入りきりません。しかたなくDVDデータディスクに収めて、実家に持っていきました。母親のパソコンで表示をチェックしようとしたら、デフォルトであるWindowsのビューアーでは、「画像が大きすぎ」という理由で表示を拒否されてました(母親ノートブックのスペックの問題でしょうが)。
でも、私はビューアーに同意します。だってオーバースペックだもの。

2007年02月11日

デジタルデータは永久に残せるのか

デジタルカメラ・デジタルビデオカメラのデータなど、いわゆるデジタルなデータというものは、はたして、永久に保存することは可能なのだろうか。まぁ、永久とまではいかなくとも、100年とか残るのだろうか。

もちろん、理論的には残ると思うのだけれども、それを扱うのは人間だけに、形のないデータを永続的に残すには、それ相応の決まり事が必要だろう。残すだけ残っていたって、最初のオーナーが亡くなったら、そのデータも葬り去られてしまう可能性が高い。紙の写真アルバムならば、捨てるに捨てられず残るかもしれないが、データはチェックしないだろう。おじいちゃんのハードディスクを孫が確認して、その時点で最良の方法で保存処理をするなんて、想像できない。そもそも、「紙」というフォーマットは、数千年の昔から基本変わらず、今も現役で存在しているが、今のデジタルビデオの「データ」のフォーマットなんて、それに比べれば、一瞬で古くなっていくのだから。

そう考えると、劣化しないはずデジタルデータよりも、形のある、本や紙焼きの写真こそが残るのだろうか。形のないデータは、ハードディスクをちょっと強めにチョップしただけで、全く無いものになってしまう。100年間、誰にもチョップされずに(障害に合わずに)生き残るハードディスク…。そもそもハードディスクが100年後にも存在する事自体、あり得ないか…。

写真はプリントだ。動画はどうする?

撮影したビデオをDVDに焼いて、手書きでラベルを書きながら、そんなことを考えてしまった。

2007年02月03日

写真

ひさびさに過去に自分の撮影した写真をなんとなく眺めてみた。娘が生まれてから、もう、娘しか撮っていないから、ものすごく新鮮に感じて、自分が撮ったとは思えないくらい。ちょっと撮影意欲が上昇した。

けれども、やっぱし今は、気軽に撮影になんて出かけられねー。ウェーダー履いて、三脚と645のカメラバックを担いで、沢を登ってひたすら撮影なんて、当面できないなぁ。

娘もいいけど、身近な人々の日常のスナップをかっこよく撮りたいと思う。

2007年01月24日

被災地

別に茶化すつもりは毛頭ないのですが、夕張って被災地でしたっけ?と勘違いしてしまうほど、各地から同情の声がニュースで流れます。夕張の方が元気になればと、相撲の巡業も検討しているそうです。プロ野球の2軍戦も夕張で開催。夕張の市職員を、うちで雇いますと兵庫にあるとある市が手をあげる。

いや、いいと思うんです。でも、別に災害にあって、個々人が不幸な暮らしを余儀なくされる、たくさんの人が亡くなり、家を失い、食べるものもなく、寒さに凍える、ってことではなくて、市の財政が破綻したというだけ、ですよね。市の財政が破綻すると、そんなに個々人ががっくしと肩を落とし、被災地のように途方にくれてしまうものなんでしょうか。個々人はそんなにも市町村に依存して生きているものなのだろうか。

いや、私の感覚がおかしいのかもしれない。なーんもわかってないのかな。
でも、市が財政破綻することと、日本相撲協会が自らの負担で、「被災地」ならぬ「財政破綻地」で『夕張の人達を勇気づけたい』と巡業を行うということは、どうしても私の頭の中では繋がらず、違和感があるのです。

札幌が財政破綻した時、私と私の家族は『勇気』を無くすだろうか。そして関取に『勇気』を貰うのか。

2007年01月14日

いろいろ考える

ここ数日で警察やら救急車やら何度も呼ぶという事態となり、かなり疲弊しております。何年か前に脳の手術をした祖母は、いわゆる認知症(いつからそう呼ぶようになったんだっけ)という疾患を抱えており、この年明け、一気に問題行動がエスカレートしました。胡桃が産まれたばかりのころも、ものすごく大変だったけれど、祖母の方がその何倍も大変だー。いままであまり真剣に向き合ってこなかったこともあり、今回はいろいろ考える機会となった。

出社できず、大事な面接にも対応できず、大事なmtgにも出れず。ひたすら胡桃をあやすのと同じように祖母をケアしておりました。入院治療させなくてはいけないのだけれど、ベッドの空いている病院は全くない。現在もまだ、自宅。

愛すべきばぁちゃんなので、嫌な気持ちはないけれども、年を取るということに、ほとんど初めて真剣に向き合ったここ数日なのでした。

ブログに書くようなことでもないのだけれど、書きながら頭整理。

楽しいことも書きましょうか。
先日の東京出張。夜は久々のAその他大勢と会ったのだけど楽しく飲めましたわ。結婚して、人の所有となった彼女なのだけど、相変わらずの飲みっぷりは素敵です。
あれー、もっと楽しかったのに文が続かねーー。
ま、今日はこれくらいに。ふー。

2006年10月31日

現金目減り

まず育児休暇の調整ということで、給料がゼロ。もちろんそれは想定内なのだけども(他の面々に大変な負担をかけたわけだし)、しかし、ボーナスゼロで調整と聞いていたので、月のものがゼロになると、印象として、ちょっとさみしい。

そして、車購入の出費。安い車なので当然現金清算。でその車に付けるカーナビ。これは5万か。5万といえば、来週から借りる会社のビルの月極駐車場の敷金が5万。駐車場なのに敷金2ヶ月かぁ。そして前家賃(駐車場)2.5万。株の含み損10万程度(まぁ含み損だから…)。秘密のあれがなくなる件。これは個人的にでかい。などなど、細かいの積み上げつつも、入りがゼロということで、ここに来てややさみしい月になっております。

嫁が気兼ねしてブーツを買えないでいるようなので、今週末買いに行きます…(笑)。すごい貧乏エントリになてきました。ミルクは「すこやか」です。ご訪問の際はお買い求めの上おいでください。

今日はBさんと帰りに一杯。車なので自宅まで戻り、ごく近くの店で。まぁまぁおいしい。嫁が作ってくれた夕飯食べれず。

2006年10月30日

勝率100%の負け

夏から株を少しやってみている。「株を買ってその株を売る」をひとつの確定した取引としてカウントすれば、私の株の勝率は100%になる。そりゃそうです、だって、損を確定していないのだから。言うなれば、ボコボコに殴られているのに負けを認めないケンカのようなものであり、時間が経てば経つほど頑なになり、果てにはケンカしていることを忘れたくなる。

損益を確定せずに塩漬けしている銘柄は2つ。確定させた取引での総利益を軽く超える含み損を有しております。一喜一憂せず、気長にケンカか。負けは認めたくない…。まだ始めたばかりじゃないか、半年や一年持ってみろよ。反射神経勝負じゃ勝てっこないんだからさ。
「紙くずに、なるならなれよ、このやろう」
的な気分で。胡桃のミルク代がなくなる…。

2006年08月17日

胡桃チェックシート

娘のミルク量管理、その他メモ書きとして、胡桃チェックシートなるものを用意して毎日付けている。そんなの付けなければ、気にならないのかもしれないけれど、付けてしまうと、日々のミルクの量や便の回数など、かなり気になる。

今回は80cc飲ませるだの、今日は560ccでしたねだの、風呂はこのタイミングだの、2時間しか経っていないけど飲ませるのかいや飲ませないだの、顔にぶつぶつが出てきたね、鼻が詰まっているみたい、体温は37.1度っと、内祝い結局何人だ?、ミルトン交換しました?、この泣き方尋常じゃないね、少し寝てくれたね、あ起きたね、ちょっと買い物言ってくるね、洗剤買ってくるの忘れちゃった。
私の一日の全てはこれらのジャッジ・アクションで成り立っているという、全く今まで想像も付かない日々なのであります。

ちょっと「まじめに」育児をやり過ぎている、というわけじゃないと思うのだが、世の中の親全てが、こんな大変な子育てをしているのであれば、私は今までの勝手を心から反省し、全世界の全ての父親母親に深い尊敬の念を抱かずにはいられません。